【雑談】ネットの海で想う事 ~ 5想目 立ち位置が分からない感情論

少し前の話ですが、中々に趣きのある記事に出会いました。

 

「涙が止まらない」原告団に歓声 生活保護費減額「違法」判決

 

Reoはこの裁判の判決自体にはあまり興味がありません。正当な手続きを経て出た結論であれば、今はその結論が正しいのだと思います。

 

ただし、判決後の原告団の言動にやや理解し難いものがありました。

 

・裁判所が人の心を持ってくれた。
・国がやることが全て正しいわけではない。
・最低限度の生活とは何か、国は直視すべきだ
・厚労省との交渉ではこの勝訴判決を突きつけたい。
・厚生労働省に控訴断念や速やかな保護費の見直しを要請する

 

割と強気ですね笑。

 

この方たちの「割と強気の立ち位置」に違和感を感じる人は多いのではないでしょうか。

 

そもそも「生活保護」の定義ってなんだっけ、と思いまして、厚生労働省のサイトを見てみました。「生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています」ということでした。

 

「健康で文化的な最低限度の生活」の水準が悩ましいところですね。 人によって答えが変わってくる部分なので、ここは置いておきましょう。

 

「生活保護」の実体と思われる「生活保護費」は税金から賄われているわけで、身も蓋も無い言い方をすると、Reoが納めている税金が、Reoにまったく得しない使われ方をしているわけです。Reoは聖人君子ではありませんから、家族や友人でもない方々の生活費の面倒を見たいとはあまり思いません。「安心料」や「治安維持費」くらいの認識で自分を納得させている側面もあります。あくまでReo的にそう思うと言うだけで、世間一般に押し付けるつもりはないのですが、大多数の意見はわりとこんなものではないでしょうか。

 

少し飛躍しているかも知れませんが、税金から賄われている以上、生活保護というのは「人の善意、支えあいの上に成り立つもの」だと思います。

 

で、あらためて冒頭の記事(の引用箇条書き)に戻ります。一言でいえば「それを自分で言ったらダメでしょう・・・」と感じてしまいます。善意を受ける側の方々が、わざわざ反感を買うような物言いで、善悪2元論的に「勝った勝った」と喧伝する必要はないでしょう。原告団に実際には働けない事情があったとしても、善意を行う側の心情として「そんな元気があるなら少しでも働いて欲しい」と思ってしまいます。
※少なくともReo個人としては、この方たちに対する心情は下方修正されました。

 

建前だけでも「国民が払った税金から生活保護費が賄われていることは理解している。我々としても心苦しいが、実際に生活が立ちいかないので仕方なく」くらいの事を言ってくれれば、Reoとしても納得しやすいですし、「まあ減らさせるのは実際きついよね。うん、わかるよ」と思えるのですが・・・。

繰り返しになりますが、この制度は「権利」でもありますが「人の善意、支えあい」の上に成り立っているものでもあると思うのです。「人の心を持っていないのか」「最低限度の生活がどういうものか直視しろ」などと上からの立ち位置で感情的に言われると、困惑するのと同時に善意のモチベーションが下がってしまいます。

 

人生何があるかわかりませんよね。何かあってもなるべく自分の面倒は自分でみられるよう備えておこう、リアル金策がんばろう、という想いを強くしました。

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